ニューシャトル歴史年表

History in New Shuttle


会社設立から今日までをまとめました。
見難いのですが、その辺は参考資料ということで勘弁してください(^^;


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年月日 内容 記事
1980(S55)年3月 埼玉新都市交通株式会社設立 出資元は国鉄、民間、沿線自治体など。 社長は畑和元埼玉県知事。
1980(S55)年12月4日 大宮〜小針(現:内宿)間の鉄道免許を申請 運輸省・建設省・農水省との間で調整が難航しました。
1981(S56)年4月3日 大宮〜小針(現:内宿)間の免許を取得
1981(S56)年10月12日 上記区間の工事施行を認可 新幹線の開業に併せ、1982年10月の開業を目指しました。
1982(S57)年6月23日 東北新幹線大宮〜盛岡間開業
1982(S57)年11月15日 上越新幹線大宮〜新潟間開業
1983(S58)年12月22日 大宮〜羽貫間を先行開業、4両編成7本と6両編成2本、計40両の体制で運転を開始 一部用地買収に手間取りました。残る区間は羽貫〜内宿間の一駅の区間です。
1984(S59)年10月28日〜11月4日 さいたま水上公園で産業フェア開催に伴い、臨時列車を運転
1985(S60)年3月14日 新幹線上野〜大宮間開業
1985(S60)年4月 一部列車の運転区間延長
1986(S61)年3月 4両編成の6両化を1編成に実施 初めての中間車増備です。
1987(S62)年3月 4両編成の6両化を1編成に実施 4両編成は残り5本です。
1987(S62)年4月 朝夕ラッシュ時に4往復増発、大宮〜丸山間の列車を羽貫まで延長、通学輸送を考え丸山〜羽貫間に不定期列車7本を設定
1989(H元)年3月 4両編成の6両化を2編成に実施 4両編成は残り3本です。
1989(H元)年春 午前混雑時に大宮〜丸山間に1往復増発、20時以降も2本増発
1990(H2)年2月17日 羽貫〜小針(現:内宿)間で土地収用法に基づく強制代執行を実施。 一人の地権者が強行に用地買収に反対して抵抗したために施行しました。
1990(H2)年8月2日 大宮〜内宿間全線開通 小針ではなく、内宿になりました。
1990(H2)年8月2日 内宿までの路線延長に併せて初終電を繰り上げると共に、平日の昼間15分間隔に増発
1990(H2)年9月 マイナーチェンジ型1050系6両編成1本を増備 50番編成です。
1990(H2)年10月 車両増備の末、朝ラッシュ時の一部ダイヤ改正を実施
1991(H3)年4月 朝ラッシュ時、丸山〜大宮間1往復増発
1991(H3)6月20日 新幹線東京〜上野間開通
1991(H3)年12月 大宮21時台丸山行2本を内宿まで延長
1992(H4)8〜9月 4両編成の6両編成化を3編成に実施 4両編成はこれにて消滅です。最終中間車グループは50番台で、1050系に準じたものになりました。
1992(H4)9月 専門学校新設に伴い登下校輸送のため平日増発、データイムの大宮〜丸山間を全て内宿へ延長し全線15分間隔に、夕方時間帯の大宮〜内宿間2往復増発、休日に大宮〜丸山間を内宿まで8本延長 かなり大きなダイヤ改正となりました。今の原型のダイヤと言っても過言ではありません
1994(H6)年11月 1050系6両編成1本を増備 51番編成です。
1994(H6)年12月 車両増備の末、平日朝通勤時と夕方通勤時、夜間に各2往復増発、休日早朝・夕刻、丸山〜内宿間に5往復増発
1998(H10)年2月 1050系6両編成1本を増備 カラフルな真っ黄色の52番編成です。1000系を集中更新するための予備車的増備です。
1999(H11)年2月 1050系6両編成1本を増備 黄色ベースの標準ストライプの53番編成です。これで車庫が満タンになりました。
1999(H11)年5月15日 2月の車両増備の末、朝ラッシュ時に大宮〜丸山間に1往復増発、21時台の大宮発列車を45分発まで10分間隔運転、終電の繰り下げを実施(23時40分発内宿行き、0時00分発丸山行き)。 合計11運用でのローテーションに。詳しくはダイヤグラムのページで
1999(H11)年9月1日 車両更新と、施設老朽化のために9.6%の運賃改定を実施 初乗りは160円から180円になりました。詳しくは運賃表のページを参照。
2002(H14)3月 1050系50番編成の老朽に伴う塗装変えを実施。 53番編成と同様の塗装になりました。弱冷房車は解消とならず。
2002(H14)年12月6日 沿線学校の週休二日制に伴い、平日土曜ダイヤ・休日ダイヤ制から平日・土曜休日ダイヤ制に変更。 土曜日は本数が減ってしまいましたが、休日はかなり運転本数が増えました。
2004(H16)年1月16日 健康増進法の普及に伴い、全駅終日禁煙になる。 これに伴い喫煙所を全駅で撤去しました。
2004(H16)年2月16日 交通博物館を大成に移転することを発表。大成では鉄道博物館になる。 2007年度中を目処に移転する。東日本旅客鉄道のプレスリリースはこちら
2004(H16)年4月14日〜7月20日 日本薬科大学開学(最寄駅は志久)に伴い4本の列車を丸山〜内宿間で延長運転。 大宮発7:44・8:21・8:32(丸山行)発を内宿まで延長、丸山15:52発(大宮行)を内宿始発に変更。
2004(H16)年4月28日〜5月5日 大宮副都心のイトーヨーカドー・ステラタウンの開店(4月28日)に伴い大宮〜丸山間で臨時列車を運転。 大宮〜丸山間は7〜8分間隔で運行。日中では過去にない程の大増発となった。
2004(H16)年6月〜 伊藤園「お〜いお茶」で車体広告列車登場。 ゆりかもめなどに次ぐラッピングトレインとなった。経営難で苦しむ新交通会社の最後の切り札か?(ゆりかもめは2001年11月29日より走っている)
2005(H17)年3月19日 各方面の終電繰り下げに伴う時刻変更実施。
(大宮発内宿行23:40→23:50発
大宮発丸山行0:00→0:05発)
また、終電が繰り下がった影響で大宮発で22時台の列車を1本増発。

参考文献:鉄道ジャーナル2001年9月号

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