武蔵野線を走る列車 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●使用範囲 武蔵野線(府中本町〜西船橋間) 京葉線(東京〜西船橋・海浜幕張間) ●運転最高速度 100km/h ●所属基地 京葉電車区(千ケヨ) ●特徴 高速域の加速度を確保した全電動車型の101系に対し、 駅間距離の短い線区向きに低速域の加速に絞り、 電動車の比率を下げて電力設備への負荷を抑えた車両が103系である。 この車両では電動車と付随車の割合が1対1でも運転できるようになっており、 デビュー当時(昭和38年)としては経済性に富んだ車両とも言える。 武蔵野線開業当時は、長大トンネルを走行する上で必要となる、 車両不燃対策を施した101系1000番台で運転していたが、現在は103系に取って代わっている。 平成8年(1996)12月1日のダイヤ改正以前は6両編成が混在していたが、それ以降は全編成8両編成になった。 武蔵野線の歴史以上に車両の経歴は深く、上の写真のような103系の中でも比較的新しい「高運転台車」や、 下の写真のような古い「低運転台車」がある。 以前は他路線への新型車両投入で行き場を失った103系が武蔵野線の高齢車両と交換されていたが、 現在は山手線への新型車両投入に伴い捻出された205系電車によって置き換えが進んでいる。 さいたま市内では京浜東北線・埼京線に103系が走っていたが、 武蔵野線でもそろそろ姿を消すことになりそうだ。 将来的には205系電車で統一され、さいたま市内から103系自体が姿を消すことになる。 一方、武蔵野線ならではの低運転台のクモハ(先頭電動車)編成も少数ながら活躍していた。 これらの編成は全てが低運転台の車両で、特殊な形状のためになおさら武蔵野線らしさがあった。 103系電車は全て京葉電車区に所属するが、 1996年12月1日に8両編成化されてからは青梅線・五日市線の車両と一緒に使用することがなくなった。 それどころか、青梅・五日市線からは2002年5月までに103系全車両が営業運転からは退いてしまった。 現在は山手線からの205系の転属により、これらの低運転台の車両が優先的に淘汰され続けていたが、2004年10月に遂に「クモハ編成」全編成が営業運転から退いてしまった。 ●編成 全て8両編成で運行する。東京・海浜幕張寄りから1号車となり、府中本町寄りが8号車となる。
*低運転台は2004年10月27日に営業運転を終了している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●使用範囲 武蔵野線(府中本町〜西船橋間) 京葉線(東京〜西船橋・海浜幕張間) ●運転最高速度 110km/h ●所属基地 京葉電車区(千ケヨ) ●特徴 205系電車は201系に続く回生ブレーキ車であるが、 当時の国鉄が財政難という事情によりマイナーチェンジして登場した車両が205系である。 主な変更点は普通鋼の車体からトータルコストの優れたステンレス車体になったこと、 主電動機の制御方法の変更などである。 昭和60年1月に登場し、同年3月の時刻改正で山手線に登場。 そして、大量生産の過程で埼京線などにも導入された。 後に武蔵野線にも導入されることになり、前面形状やドア開閉装置が変更された「後期型」を導入している。 2002年現在、山手線では新型車両E231系(500番台)が次々と投入され、 淘汰された205系が武蔵野線や埼京線にも転入している。 山手線で活躍していた当時の205系は側面扉の窓が小型なので後期型との見分けが容易である。 その他、主電動機の改造や交流電動機への交換(VVVFインバータ制御化)により電動車の比率が下がっており(6M2Tから4M4Tへ)、 205系の走っている他の線区には見られない省エネ対策を施しているのも特徴である。 2002年10月現在、武蔵野線への転属編成は1編成のみであったが、 現在は山手線からの転入も進んで103系を淘汰し続けている。 将来的には後期型の205系と、山手線から転入した205系のみで運行するようになる予定である。
●編成 全て8両編成で運行する。東京・海浜幕張寄りから1号車となり、府中本町寄りが8号車となる。
*中間電動車(モハ205・204)のみ5000番台が付番されている。 *モハ205・204-5000番台これらはVVVF改造車に当たる。 *その他の車両は山手線時代の番号のまま(0番台)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
過去の電車
●使用範囲 武蔵野線・中央線、快速「むさしの号」 2002年11月30日…営業運転から撤退 ●運転最高速度 100km/h ●所属基地 三鷹電車区(八ミツ)…最終の所属 ●特徴 169系は、信越本線横川〜軽井沢間の碓氷峠の走行において、 EF63系電気機関車と強調運転するための電車として製造された。 そのため、連結器のジャンパー栓が類似の165系電車にはない特殊な構造になっている。 現在は同区間は廃止されてしまったために特に意味を持たなくなり、 経歴として残っているだけのものとなってしまった。 長野から転属してきたこの車両は、三鷹電車区に配置されると同時に湘南色に戻されたが、 後にリニューアル工事を受けて車内外が大きく変化した。 特にリクライニング付きの転換クロスシートは人気が高く、 末期には東京〜大垣間の臨時快速電車「大垣夜行」に活躍するなどして 首都圏・名古屋地区で返り咲いた経歴の深い車両だった。 しかし、2002年11月30日で快速むさしの号の座から降り、用途廃止となり廃車となった。 ▲都市間連絡列車として風格漂う側面。 ●編成 快速「新幹線リレー」や、後の快速「むさしの号」では全て6両編成で運行していた。 大宮寄りから1号車となり、八王子寄りが6号車となる。 団体臨時列車にも使用されることがあり、その場合は多種多様な編成を組んでいた。
*転換クロスシート編成とボックスシート編成を併結して運転。 *2002年12月1日改正で115系電車(豊田電車区)に置き換えられた。 *既に廃車され、現存しない車両である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●使用範囲 武蔵野線・中央線、快速「むさしの号」 中央本線 立川〜松本間 ●運転最高速度 110km/h ●所属基地 豊田電車区(八トタ) ●特徴 115系電車は昭和37年に登場。 80系電車、165系電車を置き換えるために大量に生産された。 関東北部の寒冷対策として、耐寒耐雪構造となり、ドアを手動に切り替える半自動機能もある。 豊田電車区に所属する115系については主に300番台が所属するが、 老朽化により小山電車区から捻出された115系をリニューアルして使用している。 なお、車内設備は全車両セミクロスシートで統一してある。
特に快速むさしの号に運用する115系については、非常に面白い傾向がある。 2002年12月1日より、115系電車で運転するようになったのだが、 小山電車区の115系が豊田電車区に転出する以前は、 長野支社のコーポレートカラーの塗装をした115系も運用されていた。 その後に老朽化した車両の調整の末、松本電車区から豊田電車区に転属した115系を快速むさしの号用として使用している。 「M40編成」という編成なのだが、前面に「快速むさしの号」のヘッドマークを入れるサボが付いていることや、車内広告を省略しているのが特徴である。 なお、回送時にはヘッドマークを外して走っているのは169系時代と共通である。 また、169系と同一のヘッドマークを使用しており、臨時快速ではあるものの世代交代をした感がある。 ●編成 快速「むさしの号」は全て6両編成で運行する。 大宮寄りから1号車となり、八王子寄りが6号車となる。
*2002年12月1日より快速むさしの号に充当。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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